「あり得ない」2023 2.20
「あり得ない」
2023 2.20

「あり得ない」
2023 2.20

 「あり得ない」という言葉の向こう側には、「現実に起こる!」という意味が隠れている。そんな事を実感した年だった。

 その人は、会っておかねばならない人であった。自宅の場所は知っていたが、電話番号は知らなかった。アポなしで訪ねるしかなかった。最寄りの駅で降りたところで携帯電話が鳴った。地元紙の記者だった。暫く話をして、電話を切って、その人の自宅に向かった。玄関先でバッタリ出会えた。買い物に出掛けるところという。来訪の目的を話し、応援を頼んだ。快く引き受けて頂き、「母親も応援していた!」と心強い言葉を頂いた。電話がもう少し長ければ、出会えなかった。

あの人とは、平成2年の総選挙を一緒に戦った仲間であった。その選挙以来、仲違いをした訳ではなかったが、会う事はなかった。「大沢野」で街頭演説をしていたら、男性が近寄ってきた。あの人だった。「滑川」の人であったが、大沢野の交差点で再会した。

もう1人の人は、かつて、「富山」で会社を経営していた。私が「井波」の御大の事務所で書生をしていた頃に知り合った人であった。「八尾」の商工会の前で、街頭演説をしていたら、男性が近寄ってきて、「誰かわかる?」と話掛けられた。記憶になかったので、「ごめんんさい。わかりません。」と返すと名前を名乗られた。記憶が蘇った。「川上」の「鱒寿し」を議員会館にお土産で持って来られた人であった。商工会の前の、鍼灸マッサージに週2回、通っているという。その年は、そんな再会ばかりであった。時間が少しでもズレていれば叶わない事であった。あり得ない事が現実に起こった年であった。「県議会議長」と「県議会議員」の辞職願を半年間に2度提出した「あり得ない」令和3年であった。