「忘れた!」2024 2.28
「忘れた!」
2024 2.28

「忘れた!」
2024 2.28

 漫才師の掛け合いで、「最近、物忘れがひどくて!」と1人がボヤいたところ、相方が、「例えば?」と聞くと、「えっ?何の話ですか?」というオチに笑ってしまった。
 40才を過ぎてから、「雇用」、「年金」、「医療」、「福祉」等の厚生労働行政に強い問題意識を持ち、社会保険労務士の資格に挑戦した。人間という者(自分だけ?)は、ある程度の年齢に到達すると「記憶力」より「忘却力」が強くなる事を実感した。4度目の試験でようやく合格に辿り着いた。

 先日、高校の応援団の先輩と酒を酌み交わした。昔の事については、誰もが鮮明に、「場面」として憶えているものだ。応援団長を務めた先輩が「交流会」の話を始めた。母校である魚津高校を含む、周辺の高校の応援団が年に1度集まり、各学校の持ち回りで、「校歌」や「応援歌」を披露する場が交流会であった。その時は、上市高校に出向いたそうだ。富山地方鉄道で移動して、到着後、「高下駄」を忘れた事に気付いたそうだ。「紅の団旗」、そして、「魚高節」の「羽織・袴・高下駄」は、応援団の精神的支柱であり、「魂」である。その「魂」をあろう事か持って来る事を忘れたらしい。京都に納骨に行くのに、「お骨」を忘れるようなものだ。団長は、「さすがにマズイ!」と考え、高校の職員室に急いで電話をして、顧問の先生である上市町の「輝さん」に高下駄を持ってきてもらったそうだ。 やるなぁ~。 団長は、応援団の大きな団旗が、学生の目の前でグラウンドにベッタリと付いていたとしても、「この団旗は、いまだかつて、地面に付けた事がない!」と在校生に言い放っていた。 やるなぁ~。 ある意味、男の中の男である。 ところで、3年生の時、旗手として、団旗を持っていた私は、団旗を地面に付けた事はなかったが、グラウンドのスタンドに、1晩中、団旗を置き忘れた事がある。団旗は皮の立派な鞄に入っていたが、1晩中、雨に打たれたためか、翌日は湿っぽかった。