「今昔物語」2022 12.31
「今昔物語」
2022 12.31

「今昔物語」
2022 12.31

 私が学生の頃の話。年末の予算編成を目掛けて、各自治体、各種団体は、8月31日の概算要求の締め切り前とクリスマス前の大蔵原案(まだ財務省ではなく、大蔵省であった。)発表の前、少なくとも年に2回、中央省庁に陳情(死語か?)を行っていた。今では信じられないだろうが、当時は、首長、議長は、陳情書にテレフォンカードやビール券を挟み込んだり、鱒寿しやカマボコを手土産に担当各課を練り歩いた。テレカやビール券は、新橋あたりのチケットセンターで換金され、役所の「シマ」の飲み代となったのだろう。
 年末の予算編成の日程は、まず、9月1日から年末までに査定された大蔵原案からスタートする。当然、要求する役所の要望は、満額回答ではないため、ゼロ査定等を喰らった項目で、どの項目を復活要求するか、そして、政務調査会の各部会で決定し、復活折衝を行う。各省庁の局長VS大蔵省主計官を皮切りに、政治マターとして、整備新幹線や戦後処理問題等に関して、大臣折衝、政務調査会長、幹事長も加わった3役折衝も行われた。大蔵原案から閣議決定に至るまで1週間位だったであろうか?その間、各省庁の政務次官室(政務官、副大臣ではない)が作戦本部となり、差し入れられた全国の特産品が酒のツマミとなり、政治家が、ワイワイ、ガヤガヤやっていた。そうした場が訓練の場となり、人間関係を構築していったのであろう。年末の永田町、霞が関の締めくくりの年中行事であった。今年、12月23日に新年度予算が閣議決定された。昔と比較して、隔世の感がある。それにしても当時、バブル時代にもかかわらず、クリスマスイブは、お金が全くかからなかった。自分の財布にとっては、優しい時代でもあった。