「太陽」2022 9.30
「太陽」
2022 9.30

「太陽」
2022 9.30

 「太陽の季節」の石原 慎太郎が、小さな街に来るという。当時、小学4年生の私にとって、芥川賞作家など知る由もなく、知っているのは、「太陽にほえろ!」の石原 裕次郎ぐらいであった。石原 慎太郎の来町の目的は、後に大人になり知る事となる。

 「黒部」の由来は、アイヌ語で「魔の川」を意味する「グルベツ」とも、奥山の銘木である「ネズコ」の別名「黒檜・くろび」とも言われている。  黒部川扇状地に、収穫の秋が来た。評価の高い、コシヒカリの穀倉地帯だ。今でこそ、1反当たり、9~10俵の収穫があるが、かつては、「黒部四十八ヶ瀬」が示すように、氾濫を繰り返し、礫ばかりの、水持ちの悪い「ザル田」で収量も少なかった。更に、黒部川は、「高熱隧道」、「黒部の太陽」の題材となった電源開発の河川で、水は河川を流れず、お天道様にあたらない山の中の導水管を通るため、冷害も多かったようだ。先人の知恵である「流水客土」、「温床水路」等により、今日の豊穣の農村がある。

 電力不足により、高度経済成長の時代に乗りきれない関西において、関西電力社長の太田垣 士郎は、「経営者が十割の自信をもって取りかかる事業、そんなものは仕事のうちには入らない。七割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する。そうでなければ本当の事業はやれるもんじゃない!」と「黒部ダム」の建設を決断したという。「黒部に怪我人なし!」の厳しい環境、逆境の中、世紀の大事業を成し遂げた。富山県側の玄関口である宇奈月温泉は開湯100周年を迎え、関西電力黒部ルートも一般開放される。「太陽」のような観光資源だ。
 破砕帯を突破した班長には、残念ながらお会いする機会に恵まれなかった。