「護天涯」2022 9.22
「護天涯」
2022 9.22

「護天涯」
2022 9.22





 地元の銀行の支店長が言っていた。「この町の人々の預金の総額は、当行の全支店の5本の指に入っていますよ!」と。そして、続けた。「現金一括払いで、納屋を建てて、仏壇を購入するんですよ!」と。「町民性」だろう。稲の収穫直前で、黒部川の氾濫により泣かされ続けたため、災害に備える習性となっているのだ。

 富山県の歴史は、「水」との戦いであり、「治水」の歴史である。永田町、霞が関を徘徊していた学生時代に「砂防」という言葉を初めて聴いた。「河川」には、上流部において、脆弱な地質を削り、押し流し、下流部において、その土砂を堆積させる2つの「作用」があるという。上流で削り、崩された土石が急流河川により、堤防を決壊させ、地域住民の生命と財産を、「これでもか!」と奪い続けた。また、その一方で、年月をかけて肥沃な「扇状地」を形勢してきた。

 「立山砂防」の現地視察に行ってきた。国土交通省立山砂防事務所から、トロッコ軌道で、38回のスイッチバックを繰り返し、1時間45分かけて、水谷出張所まで昇る。観光地「立山黒部アルペンルート」のすぐ隣で国直轄の事業が行われている。「白岩堰堤」の他、現在進行形の砂防事業に圧倒される。全国各地で多発する災害の復旧は、もちろん大事だが、災害を未然に防ぐ、そして、減じる予防・減災こそ大切。自然の生きている力を思い知らされ、それに対応する人間の力に感動し、感謝した視察であった。