世界は広く、赤道直下の熱帯地域から、荒涼たるツンドラ地帯に至るまで、また、ゼロメートル地帯から山岳地帯に至るまで、人が住み、生活を営んでいる。生きるためには、まず「食」が必要となる。「米」であれ、「小麦・トウモロコシ・大豆」であれ、その地域の「主穀作」となる農作物は「主穀作」になる理由がある。まず、気象条件が適合している事。作付けに、ベラボーな手間がかからない事。収量が安定し、妥当な値段で売買され、且つ、それが継続される事等であろう。それが、日本にとって「米」であった。「土地改良」、「機械・資材」等のハード整備と「品種改良」、「化学肥料開発」、「普及・営農指導」等のソフト事業が戦後日本の台所を支えてきた。空腹・貧困からの脱却は、歴史が証明している。 昭和40年代半ばから「米余り」の時代が始まった。減反政策、生産調整がスタートした。今日も人口減少、少子高齢化に歯止めが効かず、「食べ盛り」が減少し続けている。「米」は、約700万トン生産、消費されているが、今後、毎年10万トン減少し続けるという。経済の論理では、「モノが余れば、価格は下落する!」、「需要と供給のバランスがとれて、初めて価格は安定する!」。自明の理である。 「水田をどう活用するのか?」が農政の最大の課題である。畑地化を推進し、農業普及指導員の専門性を駆使し、高収益作物に挑戦する。国際情勢、為替相場がより不安定な今、自給率を高めるため「飼料用米」を増加させる。小麦が高騰し続けるからこそ、代替品としてではなく、商品として評価される「米粉」の開発、作付けに力を注入する。世界のマーケットに向け「和食文化」を発信し、「輸出米・パックご飯」を売り込む。そして、何よりも国内消費が回復、拡大すれば良いのだが・・・。 「ごはんもう一杯!おかわり!」