「恩師」2026 2. 24
「恩師」
2026 2. 24

「恩師」
2026 2. 24

「恩師」

 この選挙期間中、小学校2・5・6年生の時に、担任を受け持って頂いた先生が亡くなられた。授業では、手も挙げられない程の引っ込み思案で、そのくせ体育と給食のときだけ元気な私を教え導いて頂いた。県議会議員選挙の際には、最前列で威儀を正して演説を聴いて頂いた。県連幹事長に就任した際には、お祝いの手紙を頂いた。我が事のように喜びに満ち溢れる文面でありながらも、最後は「日本の為に、頑張って下さい!」と厳しく締めくくられていた。雪の中の選挙戦、街宣車が「入善町上飯野新」を走行中に、マイクを通じて感謝の想いを伝えた。

 中尾少年が、魚津高校在学中、成績が芳しくなく、体調も思わしくなく、俯きながら、独り、中庭を歩いていると、小澤 梅子先生が声を掛けたそうだ。「希望は遠い星の光。俯く者には見えない!」と。 時は半世紀近く流れ、中尾先輩が魚津で講演された際、小澤先生が車椅子で最前列で、かつての教え子の話を聴かれたそうだ。講演終了後、小澤先生がこう言われたそうだ。「私は、あなたがどんなに偉くなっても、ちっとも嬉しくありません。また、忙しくて、健康を害する事が心配です。」と。