「昭和33年」2026 1. 13
「昭和33年」
2026 1. 13

「昭和33年」
2026 1. 13

「昭和33年」

 先日、立山町出身で、富山商業、中央大学を経て、埼玉西武ライオンズに、ドラフト2位で指名された「岩城 颯空」投手の激励会に参加した。背番号は、エースナンバーである「20」。期待の大きさを窺い知る事が出来る。数多くの選手を見てきた「伯楽」の目で「20」番が相応しいとの判断なのであろう。野球少年は、誰もがプロ野球選手を夢見る。岩城選手は、夢の入口に立った。後は、夢を掴むだけだ。健闘・必勝を祈る。

 昭和33年は「野球」の年であった。夏の甲子園球場では、魚津高校が「蜃気楼旋風」を巻き起こし、プロ野球では、東京六大学野球のスター 「長嶋 茂雄」が読売ジャイアンツに入団し、秋の日本シリーズでは、三原 脩率いる「西鉄ライオンズ」が、水原 茂監督の「読売ジャイアンツ」を3連敗の後、4連勝で下し、劇的な「日本一」を手にした。鉄腕「稲尾 和久」が「4勝」全ての勝ち投手となり、「神様・仏様・稲尾様!」と称された。岩城投手には、その流れを汲むライオンズの「星」としての活躍を願う。

 私達の少年時代は、「ドカベン」であり、「キャプテン」であり、「巨人の星」であった。「巨人の星」の主題歌の「思い~込んだ~ら♬」を「重いコンダーラ」と思い込んだ少年も多数いたという。グランドを整備する「ローラー」を「コンダーラ」と呼ぶと思い込んだらしい。