「火中の栗を拾う」2025 12.17
「火中の栗を拾う」
2025 12.17

「火中の栗を拾う」
2025 12.17

「火中の栗を拾う」

 「火中の栗を拾う」という言葉を調べてみた。AIの回答によると、「自分の利益にならないにもかかわらず、他人のために危険を冒す事」とある。なるほど。

 60年間の人生の中で、3度、職を辞した。「県議会議員」、「県議会議長」、そして、「自民党町支部長」。「町支部長」の辞職は、ある選挙での推薦候補の敗北の責任を取っての事であった。その選挙の半年後に、県議会議員選挙が行われた。逆風が予想されたが、全くの逆風であった。9月議会終了後、いつものように、1軒、1軒、1人で訪ね歩いた。痛い視線、冷たい視線があった。罵声を浴びせられる事も多々あった。しかし、逃げる気持ちもなく、自身の気持ちは、全く折れなかった。「筋を通した!」という想いがあったからだ。いろいろな場で「全人格を賭けて戦う!」と訴え続けた。思わぬ援軍も駆け付けてくれた。「あんたは、筋を通した!」と囁く人もいれば、かつての相手候補の熱烈な支援者も、雪が降る中、一緒に集落を歩いてくれた。ある首長は、出陣式で、「町民の良識が問われている!」と檄を飛ばしてくれた。雄弁会の先輩・後輩も、北海道の網走市から、埼玉県の本庄市から、市長が手弁当で、日帰りで、個人演説会の弁士を引き受けてくれた。そして、「お台場」のテレビ局の政治記者も、来てくれた。マスコミは「中立」であるべきなのに、危険を冒してマイクを握ってくれた。ありがたい事だ。結果は、大方の予想を覆えし、トップ当選であった。翌日、地元紙の記者が「全くの読み違いでした。」と謝りに来た。そんな事は、どうでもいい事だ。 「選挙は、媚びず、怯まず、阿らず、正々堂々と、且つ、謙虚に地道に戦うもの!」と改めて確信した。誰もが火中の栗を拾ってくれた選挙であった。ちなみにAIによると「火中の栗を拾う」の「対義語」は「君子、危うきに近寄らず」とある。皆、「君子」ではなかったのか?