「ある先輩(?)の事」
小学生・中学生・高校生には、「幹事長」という役職はない。
昭和の時代、その人は私の「先輩」であった。初めて、お会いしたのは、私が大学に入学した直後、高田馬場のBIG BOX前。新歓の飲み会の待ち合わせの場であった。スーツをスマートに着こなし、「出来る男」のように、手にはアタッシュケースを持っておられた。同じ富山県出身であり、4学年上。つまり、先輩は大学院の1年生であった。「雄弁会」は縦社会で、4学年上というのは、「士農工商」以上の身分差であった。当時の雄弁会には3つの「派閥」があり、各々、過半数を持たないため、「幹事長」ポストを決める年2回の総会は、「合従連衡」の繰り返しであった。先輩が在学中の「我が派」は弱小派閥であり、先輩は「幹事長」に立候補したものの玉砕した。
平成の時代、先輩と私は「同期」となり、文字通り、机を並べた。もう1人加えた30代の若手3人でよく集まり、3人の会を作り、意気込みを示すため、「先走りの会」と名付けた。勉強会を重ねたり、県内各地をパネルディスカッションでまわった。酒も飲んだ。「桜木町」では、先輩のボトルを勝手に飲んで、代わりにワンカップの日本酒を置いてくるという悪戯もした。まもなく、3人のうち1番若い1人が別の世界に転出していった。先輩も転出を試みたが、初めての挑戦では苦杯を嘗めたものの、仕事に対する情熱を持ち続け、何度も苦い水を飲みながらも、現在、転出先で、東奔西走中である。
令和の時代、先輩の家族と私達の家族は「親戚」となった。先輩は、今、1つの「地点」に到達した。その姿は、よく6人でテレビに映っている。今度、四半世紀振りに「先走りの会」でもやるか。