「変遷」
父方の祖父母は農家であった。子供の頃、祖母に連れられ、「稲場の丘」の小さな田んぼの畦に植えられた「豆」の苗に、手で土を盛った記憶がある。大切な田んぼを少しでも有効に使おうとしていたのだと思う。 昭和の時代、小学校の社会科の授業で農家が所有する田んぼは平均で、約1ha(100 m×100m)と習った。 平成の時代に、国政を目指す人のミニ集会で、誰もが嘆いておられた。「田んぼの面積の大小に関係なく、トラクター、田植え機、コンバインと必要な農機具等は同じで、機械貧乏で、支払いのために、勤めているようなものだ!」と。その頃から、農地を借り受け、大規模化する生産者も少しずつ出てきたが、「機械の使えるうちは...」と頑張る第2種兼業農家が主流であった。時が経過し、離農する方も増え続け、皆で作業を行う、「集落営農」という形態も出現し、行政も、ハード、ソフトの両面で力を傾注した。組織は、定年退職を迎えた方々が中心となって、各地で設立された。「集落営農」の本来の着地点は、メンバーの中から、「担い手」が育つ事であったと思う。 令和の時代、60才で定年となった方々も、年齢を重ね、仕事が体力的に厳しくなった。「集落営農法人初の減少」という記事も読んだ。「集落営農」という経過措置も終わりが見えるようだ。一方で悲観的な事実だけでなく、大規模法人も増えてきた。しかし、人手不足であり、請け負う面積にも限界がある。この春の田植えの季節、「動いている田植え機の台数が少ないのではないか?」、「その分、田植えの時期が一斉ではなく、品種を工夫し、面積をこなすため長期間の田植えになっているのではないか?」と感じた。「コメ」は自然に出来る訳ではない。コメ作りの長老が「土地無し非農家」の私に言っていた。「イネは、農家の足音を聴いて育つものだ。」と。