「脛かじり」
早稲田大学の卒業式は、今でも、3月25日だろうか?「4月1日から新社会人として、スタートするのに、遅い卒業式だな!」と思っていた。高校を卒業後、現役で、ある大学の商学部に入学したものの、「仮面浪人」を決意して、再受験。早稲田大学の入学試験に手応えはあったものの合格の保証はない。別の大学にも合格していたので「保険」として「入学金」を払い込んだ。結果として、1つの大学に進学するのに、3度「入学金」を納めた。更に、早稲田大学は、4年制ではあるが、留年したため、5年分の「授業料」を納めた。「両親の脛は、よく床屋の立ち仕事に耐えられたな!」としみじみと想う。最後の卒業式という事で、両親に声を掛けた。両親は自腹で上京した。4月1日から私は、内定をもらっていた民間企業に行かずに、国政を目指す人と行動を伴にする事を決めていた。卒業式の終了後、行きつけのグランド坂上の喫茶店で同級生(既に卒業済)と痛飲した。時計が翌日を示す頃、アパートに帰った。留守番電話にメッセージが録音されていた。上野駅から「急行能登」の「自由席」で帰る両親からであった。母親が「4月1日からちゃんと会社に行って下さい!」と言う向こう側で、父親が「そんな事は言わんでいい!」と言っていた。やはり親というものは、聴かずとも子供が何を考えているのかをわかるようだ。 吉田松陰は両親に宛てて「親思う こころにまさる親心 けふの音づれ 何ときくらむ」という辞世の句を詠んだ。