「本気?」
戦後日本の人々の移動の歴史は、「高速化」、「時間短縮」の歴史であった。「航空機」、「自動車」、「鉄道」、然り。時間を掛けて、優雅に楽しむ船旅や各駅停車の1日乗り放題の「青春18きっぷ」もあるが...。
かつて、富山県から上野・東京へ向かう手段として「急行能登」があった。高校生の頃、23時30分頃に、入善駅を出て、硬い座席で、約7時間揺られ、上野駅に到着する。「夜行」よりも、少し急ぎたい、少しお金を使える時は、「特急白山」で上京した。直江津で、座席をくるりと方向転換し、上野まで6時間の「峠の釜めし」を食する旅行であった。ほぼ同時期に、上越新幹線も大宮まで開業し、受験生の頃、長岡経由で約4時間の移動であった。その後、「北越急行ほくほく線」で、新潟県をショートカットして、越後湯沢経由で約3時間半に短縮された。そして、北陸新幹線が開業となり、黒部宇奈月温泉-東京は、2時間30分で結ばれた。
今でもハッキリと、そのスピーチを憶えている。一番列車に乗り、東京から富山へ到着した落語家の「立川志の輔」師匠のスピーチであった。「富山-東京の2時間30分の内訳は、富山-長野が約1時間、長野-東京が約1時間30分。変ではないか?在来線の特急白山では、富山-長野、長野-上野が6時間で、長野が折り返しの3時間の地点、つまり、長野が中間地点なのに、おかしいではないか?どうして、富山-長野が1時間で、長野-東京が1時間30分もかかるのか?」との疑問が沸き上がったそうだ。その疑問を、師匠が母親にぶつけたところ、母親は、こう、答えたそうだ。「長野から本気で走るんだよ!」と。血筋である。志の輔師匠は、スピーチをこう締め括った。「北陸新幹線は、東京駅から、本気で走ってましたよ!」と。