「コメを考える」2025 3.19
「コメを考える」
2025 3.19

「コメを考える」
2025 3.19

「コメを考える」

 終戦後、食糧を確保するため、国会議事堂前の広場には「サツマイモ」が植えられていた。日本列島の至る所の「猫の額」程の土地でも耕したという。昭和40年代の前半まで「コメ不足」の時代であり、多収量の品種中心の生産増大の時代であった。しかし、その後、「コメ余り」の時代が続き、「休耕」、「転作」等の「減反」の時代が続いている。日本人が1人当たり1番多く、「コメ」を食べた年が、昭和38年の118kgであり、今日では、50kg台と半分以下である。今後も、人口減少、少子高齢化の進行により、日本人の胃袋の数が減少し、食べ盛り世代が増えない事で胃袋も小さくなり、主食用米は、毎年10万tの消費量が減少すると推測される。「コメ」は、かつて政府が、食糧管理法に基づき、「生産者米価」、「消費者米価」を米価審議会経由で決定していた。当たり前の事だが、生産者は1円でも高く買って欲しい。消費者は1円でも安く購入したい。どちらも正しい話だ。結果として、生産者米価が消費者米価を上回る「逆ザヤ」となり、国庫負担が拡大し、「国鉄」、「健康保険」、と並び「コメ」は、「3K赤字」と呼ばれていた。その後、コメは、政府の直接管理から離れ、市場に委ねられる事となった。「コメ」は政府が、「量」、「価格」を管理、統制する「物」から「商品」となった。「商品」は自由主義経済下では、市場において、ニーズが高まり、品不足となれば、価格は上昇する。一方で、需要がなく、商品がダブつけば、価格は下落する。それが市場経済の原則だ。

 今日、「コメ」の価格高騰のニュースに触れない日はない。「米政策」は、戦後の流れを経て、今日の制度がある。しかし、「市場経済ですから、価格が高騰するのは止むを得ません!」、「投機の対象となる事を規制する法律はありません!」と断言する事は、無策である。誰がどう考えても常識というものがあるであろう。生産者が米作りを継続出来て、消費者が納得出来る価格があるであろう。昨年末からのコメを巡る問題について、過去の経緯を知らないのか、「なんだかなぁ~!」と首をひねらざるを得ない無責任な論調も目立つ。備蓄米の放出・買戻しは、政府が市場に介入してはならないという視点から、妥当な措置だと考える。コメは主食であるが故に、コメ不足、コメ余りによる高騰、暴落という相場となる事を避ける事は重要である。高騰、暴落を繰り返す事で、その結果、コメ農家の離農が進行する事が容易に推測できる。検討すべき課題もあるが、需要に応じた供給体制は、主食を守るための、生命を守るための基本である。