「文責」
あるニュースを見て、「伝聞推定」という言葉が浮かんだ。「確か、高校時代に、古文の授業で出てきた言葉だわな。」と思い出した。「伝聞」とは、「人から伝え聞く事。」。「推定」とは、「法律用語」では、「知り得た情報を基に、知り得ない事象を決める事。」とある。「おー!コワ!」。
昭和59年4月に大学に入学し、「雄弁会」というサークルに入会した。俗に言う弁論部であるが故に、言葉には、誰もがこだわっていた。最も、受験を終えたばかりの新入生には、その「こだわり」の意味が良く理解できなかった。当時は、携帯もスマホもない時代で、連絡用に「会室ノート」というものがあった。連絡事項を記入する者、自らの政治的主張を訴える者など雑多な集団らしく、誰もが「会室ノート」を大なり、小なり、利用していた。先輩が書いた文章の最後に、見た事のない漢字2文字が並んでいた。「文責」。呼んで字の如く、書いた文章に責任を持つという意味で、文章の最後に書いた者の氏名が記されている。学年が上がるに従い、社会人として年齢を重ねるに従い、「文責」の意味が多少わかるようになった。今、政治に携わる者として、自らの発言・主張には、そして文章には責任が伴う事を強く意識している。 SNSは事実かわからない伝聞推定の文章をも、不特定多数の者に一瞬で送る事が可能な便利なツールである。しかも、自らが「安全地帯」であぐらをかいて、匿名で投稿する事が出来る。SNSは有効な武器だが、危険な、狂気な凶器にもなり得る。 「送り手」と「受け手」の常識と良識が問われている。この瞬間も誰かが無責任な誰かに追い突められているかもしれない。人間としての常識、良識の有無が問われている時代なのかもしれない。