「躾」
私の父親は「肉」を食べる事が出来ない。子供の頃、不思議に思い、「どうして食べないの?」と聞いたところ、「子供の頃に沢山食べたから!」という返事であった。後年、父親が言っていた。「近所に屠畜場があり、子供の頃、見てはいけないものを見てしまった!」と。とは言っても、「餃子」や「焼売」はよく食べている。多分、その場面を連想させる、見える肉、形のある肉を受け入れられないのかもしれない。
父親は、「三男」で、父親の母、つまり私の祖母と私達家族は、別の生活であった。とは言っても、子供として、母親に美味い物でも食べさせようと思ったのか、自分は肉を食べられないのに「すき焼き」に連れていってくれた。母親が風呂敷に、「お釜」を包んで、「藤田ミート」の2階で、豚肉のすき焼きを食べた。牛肉は高価で、当時、食卓に並ぶ事は無く、豚肉が圧倒的な主流であった。お腹一杯に食べて、自宅に戻り、お茶を飲む。そして、祖母を本家に送るのが私の仕事であった。たまに、祖母は別れ際に、ガマ口から手間賃として「100円」をくれた。年に何度か、すき焼きがあった。いつものパターンで、祖母を送る時、私が「ばぁちゃんを送ったら、100円もらえるから、僕が行く!」と言うや否や、父親の平手打ちが飛んできた。
「躾」という文字は、「身」を「美しく」という、日本独自の「国字」であるらしい。昭和が遠くなったこのご時世では「規律」、「自制」、「自律」、「自立」という言葉は、「河島英五の歌」なのかもしれない。