「解散・総選挙」
10月9日に、衆議院が解散され、27日、総選挙が終わった。 惨敗。 政治の乱気流に、ひとまず終止符が打たれた。9月27日に、石破新総裁が選出され、10月1日には、国会にて、首班指名、4日に、所信表明演説、7日には各党代表質問、そして、9日に解散。タイトな日程であった。 「政治とカネ」を巡る厳しい空気の中、侮蔑的な、射るような有権者の視線の中ではあったが、多くの方々にご支援を頂き、再選させて頂いた。ありがたい事だ。当選により、早速、仕事もスタートした。月末に、国土交通省・農林水産省・財務省への予算要望や、JA青年部との意見交換のため上京した。永田町の議員会館は、選挙後の見慣れた景色である落選による「議員会館からの引っ越し」と、当選祝いの「胡蝶蘭」の鉢植えの配達で人々が行き交っている。 元来、衆議院の解散・総選挙は、政府・与党が有利と判断される時に実施される事が多い。しかし、今回は、惨敗となった。「政治とカネ」という、政策論争以前の段階で、厳しい審判を受けた。難しい政局が予測される。過去、少数与党となった例は数少ない。昭和の時代、大平 正芳内閣が、財政再建を真正面から訴えながらも、勝利を手に出来ず、その後、40日抗争、衆参ダブル選挙へと突入した歴史もある。少数与党となった大平内閣で、「パーシャル連合」という言葉が出現した。昭和、平成、令和と時代は移り、大平後継と名乗る者が、浮かび上がってきた。歴史は、何を突き付けているのか?