「無味乾燥」2024 7.17
「無味乾燥」
2024 7.17

「無味乾燥」
2024 7.17

「無味乾燥」

 人生も後半戦になり、学生時代に拠点にしていた「街」が懐かしくなり、訪ねてみた。昭和の時代の学生街は、家族経営の居酒屋、訳ありの空気が漂うスナックなど「三丁目の夕日」の絵であった。時代が平成、令和と移り行く中で、「街」は大きく変わっていた。「オール390円!」、「ハッピーアワー!生ビール150円!」等の派手な看板が目に付く。とにかく安い!家族経営の居酒屋はチェーン店となっていた。財布を気にする事なく、酔える街になっていた。

 富山市出身の文部科学省のOBの方と話をする機会があった。私は話掛けた。「今の学生さんは、可哀想ですね!」と。「どうしてですか?」と返ってきた。「だって、財布には優しいけれど、全く無機質な居酒屋しかないんですから、つまらないですよ!」と応え、こう続けた。「私の学生時代は、職人気質の無口な親父が、食材を睨みながら、手作りのツマミを安く出し、奥さんと娘さんが、ハツラツと手伝う個性的な店があり、そこで、人対人の訓練をさせて頂きました!」と。私の話を聞き、文部科学省OB氏は、「もしかして、その店は義経(仮称)ですか?」と返ってきた。「えっ?確か、この人は、本郷の大学ではなかったか?」と考えていると、その疑問に答えるように「寮が神田川周辺にあったんです。」と。高校も、大学も、年齢も異なる2人が、その「義経」に「時差出勤」していた事になる。「あるんだなぁー。こういう事!」。 今、その店は、ご両親が亡くなった後、チャキチャキの「K子さん」が跡を継いでいるそうだ。先日、移転した「義経」に大学の同級生と訪れた。名物の「クジラのステーキ」は、私達が約3倍年齢を重ねたように、値段も流石に約3倍になっていた。