「逆命利君-こんな本を読んできた③-」
厳格な定義ではないが、労働法の世界では、「労働者とは、使用される者で、賃金の支払いを受ける者」と位置付けられる。私の両親は、夫婦揃って、自宅でトコヤを営んでいた。いわゆる、「労働者」、「勤め人」ではない。そのDNAも影響していると思うが、自分が定時に出社し、会社で働き、帰宅するというイメージがどうしても浮かばなかった。「一人親方」的な働き方が性分に合っているのだろう。しかし1度、「労働者」になった。20代の頃、部下として上司に仕えた事があった。上司は仕事に厳しいプロフェッショナルであった。仕事に臨む姿勢を学ばせてもらった。着地点にキチッと落とすプロフェッショナルと社会に出たばかりのズブの素人。毎日、厳しく鍛えられた。毎日、怒られていた。私は、気持ちが顔に出やすかった。いつもツラをハラしていた。その表情を見て、上司曰く、「君は、怒られていると思っているが、怒らされている者の立場にもなってくれ!」。思わず爆笑してしまった。そりゃそうだわな。
1人の商社マンを描いた「逆命利君」という本にこう記されている。漢の時代の「説苑」の中で、「命に従いて君を利する、之を『順』と為し、命に従いて君を病ましむる、之を『諛』と為し、命に逆いて君を利する、之を『忠』と謂い、命に逆いて君を病ましむる、之を『乱』と謂う」。上司と部下の関係は概ねこの4パターンであろう。
職業人として、どのパターンで仕事に臨むかは、人生の大きなテーマである。打算・欲望もあるであろう。しかし、今、現在の思惑・算盤勘定だけの行動・発言ではつまらない。そして、その魂胆は、必ず見透かされる。今日のために働く事も大切であろう。また、明日のために、未来のために布石を打つ事も必要であろう。職業人としての評価は棺を覆いて事定まる。