北陸新幹線が、開業する前は、北陸本線の特急が、新潟県内の「ほくほく線」を走り、越後湯沢で、新幹線に乗り換えて、上京するパターンであった。ある冬の事だった。東京での仕事を終えて、夜、越後湯沢に降り立った。越後湯沢は、川端康成の「雪国」の舞台である雪深い温泉地である。ホームで待っているはずの富山・金沢方面行きの列車が来ていない。大雪のため、折り返し運転となる列車が到着せず、何時に到着し、何時に出発するのかわからないと言う。「さて、どうしたものか?順調に家に着いても夜中だわな!」とも考えていた。突然、「上田さん!」と声を掛けられた。振り返ると、高校の1学年後輩のサッカー部の「彼」であった。彼とは、接点は、殆んどなかったが、何となく、かわいがっていた。(〇✕業界用語ではなく、普通の意味で) 高校卒業以来の再会であった。富山へ戻る列車の目処も付かない。小・中学校の同級生が女将を務める、旅館で生ビールを飲む事にした。彼は、出張を終えて、自宅に帰るところだという。他愛もない昔話とお互いの現況を語り合った。列車は暫くして、再開し、彼は、魚津に向かった。 入善という「町」に住む10代の少年にとって最も身近な「都会」は魚津であった。ハイカラな街で私は、生まれて初めて、「ハンバーグ」なるものを食べ、当時、流行し始めていた1階が「本屋」、2階が「喫茶店」という店舗も「文化町」であった。「道下」の会社勤めをしていた私の伯父は、木造の「記念社宅」に住んでおり、後に「火の宮町」の幹部社宅に移った。記念社宅の跡地は「サンプラザ」となり、今、3階に事務所を置かせて頂いている。「縁」というものはありがたい。 越後湯沢で再会した後輩は、私の高校時代の恩師の娘さんと結婚したようだ。越後湯沢以来、久し振りに「部長」となった後輩に会うために、品川駅に向かった。