「ラーゲリ(収容所)からのメッセージ ~シベリア抑留の記憶をつなぐ~ 」展示会に出掛けた。 ソ連は、終戦直前の昭和20年8月8日、「日ソ中立条約」を一方的に破棄し、日本に対し宣戦布告した。満州等に駐留していた日本の軍人・軍属を中心とする約60万人が、シベリア等に連行された。凍てつく極寒の地で、貧しい食事、劣悪な衛生環境の中で、過酷な強制労働に従事させられた人々は、いつ祖国日本に帰れるかも見えない中、生きている意味と希望を見失い、絶望の断崖に立たされ、結果、約6万人が命を落とした。 「戦争の悲惨さ」、「平和と命の尊さ」、「ご遺族の艱難辛苦」は語り継ぐべき歴史である。 職業軍人、戦後のシベリア抑留、商社マン・経済界の重鎮という波乱万丈という言葉では尽くせない人生を歩んだ瀬島 龍三氏は、自らの「本分」は、戦争で亡くなった方々への「慰霊」と想い続けていた。シベリアで亡くなった6万人の御霊の供養のため、瀬島氏らは、ハバロフスクに慰霊塔を建立した。天皇・皇后両陛下から労いのお言葉を受け、御所を辞し、玄関で車に乗ろうとした時に、追いかけてきた皇后陛下の女官長に呼び止められ、こう告げられたという。 「両陛下は、何もおっしゃりませんでしたが、ハバロフスクの慰霊祭のあった時刻に、両陛下は御所の庭に出られて、北の方に向かって、長い、長い黙祷を捧げておられました。」。